フールさんに刺されば良い文
黒髪が好きだ。
濡れたようにしっとりと艶のある柔らかな長髪が好きだ。
この自分の嗜好がいつ芽生えたものかは覚えていないが、とにかく私は黒髪ロングが大好きだ。
しかし悲しいかな、現実に理想の黒ロンと出逢う機会はほぼ無い。
だから私は考えた。
どうすれば、現実に、合法に、至高の黒ロンを愛で、撫で、スハスハできるのかを。
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■
放課後の図書室、その片隅で深いため息をついた紅丹。
引っ込み思案で人見知りな性格とは不釣り合いな赤髪の毛先が、項垂れた首筋を撫でる。
彼女が落ち込んでいる原因は、つい今しがたこの図書室から出て行った男子生徒だった。
今日こそ声をかけよう、そう意気込んでいた今朝の自分に言い訳をする。
(だって、やっぱりいきなり声を掛けるなんて無理だよ・・・)
こんな逡巡が、もう3カ月になるだろうか。
断ることが出来ず、半ば押し付けられるような流れで就任した図書委員。
閉館時間まで貸出カウンターに座っているだけの退屈な仕事。
それが3カ月前、あの男子生徒に出逢って、変わった。
彼はほぼ毎日のように図書室に来ては、何やら真剣な表情でページをめくっていた。
その横顔に、一目惚れしてしまったのだ。
無味無色だった図書室が一瞬にして色鮮やかな眩しい世界になった。
本を読む彼の横顔をじっと見ているだけで、胸が高鳴った。
何年生なんだろう?
何て名前なんだろう?
しかし彼は本を借りることは一度として無く、常にここで本を読むだけだった。
そのため貸出カードで学年や氏名を確認することもできず、紅丹は会話のきっかけを掴めずにいた。
■
「っせーな! 地毛だっつってんだろ!」
まただ。
淡い金髪を指摘され、アルバイトの面接に落ちてしまった。
この毛色は英国人である父親の遺伝であり、黄金にとっては生まれつきの個性だった。
学校ではハーフということで容認されてきた金髪も、アルバイトとは言え就労するとなると「黒く染められないのか」「その髪ではちょっと」と難色を示されるばかり。
もう接客路線は諦めようか・・・いや、それでは意味が無い。
そもそも彼女がアルバイトを始めようとしているのは、友人たちとの会話が原因だった。
黄金は、良く言えばワイルド、悪く言えば大雑把な性格で、口調も行動も決して『女子力が高い』とは言えず、一人称もオレ。
ベリーショートの髪をボリボリ掻きつつ、椅子の上で胡坐をかく彼女に「こがねに接客とか絶対無理だから」と、友人がからかい半分に言ったのだ。
売り言葉に買い言葉の法則に漏れず、黄金は「やってやらぁ!」と返してしまった。
だから、アルバイト先に友人たちを呼び、見事に接客をこなしている姿を見せなければならない。
眉間にしわを寄せ、唇を尖らせて歩く黄金。
返却された履歴書が入ったカバンをブンブン振り回してイライラを発散している彼女の目に『ウェイトレス募集』の文字が飛び込んだ。
小さな喫茶店の窓に貼られたそれを見た黄金は、ほとんど反射的にドアを開けていた。
「この募集ってまだやってる・・・ますか?」
■
彼氏に、フラれた。
どちらかと言えば彼の方から熱心に求愛してきての交際だった。
それなのに、一方的に別れを告げられた。
自分に非がある、と言えば、ある。
でも、果たしてそれが一般的に『非』と呼べるものかどうかは微妙だ。
浮気や隠し事のようなものでは断じて無い。
蒼藍はただ、イメチェンしたかっただけなのだ。
物心ついたときからずっと同じようなスタイルの自分を、少し変えてみようと思った。
それを彼に事前に相談していれば、この別れは回避できたのかも知れない。
しかし時間は戻らないし、美容院で切った髪も戻らない。
軽くなった髪と涼しくなった背中、そして、広くなった部屋と暇になった休日。
来月の連休には双方の実家へ挨拶に行く予定だった。
カレンダーに書き込まれたこの先の記念日や予定も、意味の無いものになってしまった。
■
黒髪が好きだ。
濡れたようにしっとりと艶のある柔らかな長髪が好きだ。
この自分の嗜好がいつ芽生えたものかは覚えていないが、とにかく僕は黒髪ロングが大好きだ。
学校の授業で、平安という素晴らしい時代があることを知った。
髪の美しさが女性の美の基準であり、黒い長髪が美人のシンボルだった平安時代。
なぜ自分がその時代に生まれなかったのかを悔やむほどに羨ましい世界。
そんな平安時代(の黒髪)について、図書室で資料を読み漁るのが幸せだった中学生の真文。
彼は授業が終わるとすぐに図書室に行き、閉館時間までずっと居た。
ある日、図書の貸出や返却を行っている図書委員の女子生徒に、声を掛けられたことがある。
確か、何年何組とか、名前とか、そんなことを聞かれた気がする。
委員の仕事で利用者の把握をせねばならないのだろうと判断し、問いに対する答えを告げた。
その後、何を読んでいるのか尋ねられた。
正直なところ、至福の黒髪タイムを邪魔されたのが癇に障った。
「平安時代の黒髪について記述された書籍を読んでいる。黒髪は素晴らしい。長髪は素晴らしい。現代は君のようにやれ赤毛だショートヘアだのが氾濫しているが、平安時代の女性は艶のある黒く長い髪を美の象徴としてヘアケアに勤しんだらしい。なぜ僕が平安時代でなく今世に生まれてしまったのか非常に残念だ」
と、ぶっきらぼうに答えた。
すると図書委員の女子生徒は短く「そ、そう・・・」と言うと、その場を走り去ってしまった。
意味不明な行動だったが、委員の仕事を放棄してしまうとはなんという無責任。
やはり赤髪ショートなどというチャラチャラした者はこんなものか。
そう嘆息し、彼はまた書籍に目を落とした。
高校生になった真文は、実生活の中で理想の黒髪ロングに出逢えることが皆無であることを痛感していた。
実際、質の高い黒髪ロングを維持するのには非常にコストが掛かる。
時間的にも労力的にも金銭的にも。
だから芸能人やモデルなど、その黒髪が商売道具になるような人でなければ、わざわざ面倒な黒髪ロングにはしないのだ。
それに気が付いた真文はすぐに思考を切り替えた。
理想の黒ロンを持つアイドルを推せば良い、と。
しかし一介の高校生がアイドルを推すというのは、とても難しいことだった。
例えば楽曲を購入した場合、作詞家や作曲家、プロダクションの取り分を引いて、一体どれくらいがアイドル本人に入るのだろうか?
少なくとも高校生がお小遣いを全額注ぎ込んだところで、あの黒髪を維持する役には立てないように思われた。
そこで、彼はアルバイトを始めた。
親戚の叔父が経営している喫茶店の厨房で軽食を作った。
推しの黒髪をより美しく、艶やかにするためと思えば、学業とバイトの両立も全く苦では無かった。
ある日その店で、ウェイトレスのアルバイトを新たに雇い入れた。
叔父の趣味なのかどうなのか、少し大袈裟なフリルがついたメイド服のようなユニフォームを着せられた女子。
しかし、残念なことに彼女は淡い金の短髪であり、真文には受け入れがたい存在だった。
黒髪ロングにメイド服という最強にして最良の組み合わせを脳内で試作完了していた彼は、新たに職場の仲間となったウェイトレスを認めることができなかった。
が、どうやらそう思っているのは彼だけのようで。
客には上々の人気者となったウェイトレス。
彼女を目当てに来店する客まで発生する始末。
そして、某日。
少しガラの悪い客に、ウェイトレスが絡まれていた。
小さな店なので客席でのやりとりは厨房まで聞こえてくる。
通っている学校や名前を聞かれたり、仕事終わりに会おうと誘われたりしているようだ。
金髪でベリーショートなどというヤンチャな風貌にお似合いのナンパではないか、と無視を決め込もうとした次の瞬間。
彼の耳に「そのヘアスタイルと服、似合ってるよね可愛いよ」という言葉が飛び込んだ。
真文は厨房から飛び出して客席に向かい、エプロンを床に叩きつけながら声を張り上げた。
「ふざけるんじゃねーぞチンピラ!美が何たるかも知らねぇゴミ脳の分際で『似合う』だ『可愛い』だフカすなよ馬鹿たれが!」
自分でも、自分が何を言っているのか分からなかったが、とにかく『メイド服と金髪が似合う』というセリフだけは否定しなければと思った。
彼の尋常ならざる怒気に当てられ気圧されてしまった客は、そそくさと退店した。
その後、ウェイトレスが同じ学校で同じ学年の女子生徒だということや、ナンパから庇ってくれたと誤解したその女子から好意を寄せられたりもしたが、真文は推しに一途だった。
大学生になった真文には、衝撃の出逢いが待っていた。
現実世界では直視することも触れることも絶対にできないと思っていた黒ロンが、同じゼミに在籍していたのだ。
一目見た瞬間、衆人環視をものともせずに交際を申し込んだ。
君こそ理想の女神、運命、我が愛・・・ありとあらゆる告白の言葉と贈り物のラッシュにより、ついに彼女は首を縦に振ってくれた。
真文は生唾を飲み込んで、彼女の髪に触れた。
頬ずりした。
舌を這わせたい衝動は辛うじて抑えた。
彼女が望むことはイコール黒髪が望むことと思い、出来る限り何でも応えた。
しかしある日、彼女がばっさりと髪を切った。
信じられなかった。
雲の上を歩いていたら突然足元に穴があいて真っ逆さまに地獄へ落ちたような気持ちだった。
その場で別れを切り出し、同棲を解消し、荷物をまとめて出て行った。
真文は打ちひしがれた。
心が折れてしまった。
長年の夢だった黒ロンを、ついに手に入れたと思っていたのに、それが、消えた。
黒ロンとは、かくも儚く脆いものだったのか。
いや、違う。
そうではない。
手に入れた、というのが、間違いだったのだ。
実際に彼は『黒髪ロングの交際相手』を作っただけであり、黒髪自体の所有権は彼女にあったのだ。
それを切ろうが染めようが燃やそうが捨てようが、それは彼女の自由意思によって決定されるものだ。
そんな当たり前のことに、やっと気が付いた真文。
そして、同時に気が付いた。
正確には、気が付いていたが目を反らしていた事実と、向き合った。
理想の、至高の、最上の、そんな黒髪に『僕が成れば良い』という事実に。
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「どうだい?登場人物がみんな、とても可哀相だろ?」
自分が書いた物語を読み聞かせた私は、目の前の少女に感想を求める。
きょとんとしたまま返事をしかねている少女に、私は補足の説明を始めた。
「例えば最初の女子、彼女が赤髪ショートではなく黒髪ロングだったなら、意中の男子と結ばれて末長く幸せに暮らせていた、と思わないかい?」
「そう、だね・・・?」
分かったような分からないような表情を浮かべ、少女は返す。
「例えば次の女子、あの子が金髪ベリーショートではなく黒髪ロングだったとしたら、バイトのユニフォームもばっちり似合って、おかしな騒動も起こらなかったと思わないかい?」
「・・・うん・・・?」
理解が追いつかないといった顔で、少女は生返事をする。
「三人目の女子、あの子がもし髪を切らなかったら。素敵な素敵な黒ロンを自ら手放すような愚行に走らなかったとしたら。失恋も破局も離別も無かっただろう?」
「・・・うん」
「そして最後の男、彼は本当に不幸だ。黒ロンはいわば料理と同等。それ単体でも食べる者に最高の美味を提供することは可能だが、盛り付けるための皿も重要なファクターとなる。どんなに素晴らしいメニューでも紙皿に乗っていれば安っぽく見えてしまうのが道理だろう?黒ロンも同じだ。いくら入念に手入れをして最高の艶と手触りと髪質を獲得できたとしても、それが、私の頭上では、価値が半減してしまうのだよ!だからっ!」
私は少女の華奢な肩を掴み揺すりながら声を荒げた。
しっとりと重みのある、それでいてサラサラとした手触りの長く美しい髪が、私の腕と彼女の肩を覆う。
「痛っ・・・」
少女の小さな悲鳴で、私は我に返った。
「すまない・・・つい、感情的になってしまった。しかし、分かってくれたかな?私がどれだけ黒髪ロングを熱望しているかを。だから、そう、
「私・・・紫なんて名前じゃ・・・」
面談後、双方の了解を以って成立する里親制度。
しかし今回も、里子側からの拒絶により、養子縁組は不成立となった。
珈琲さん取り乱す
この文章は長田先生が書かれた上のSSに勝手にアンサーしたものです。
必ず上記作品をお読み頂いてから下に進んでください。
吾輩という人格がいつどのタイミングで顕在し、ひとつの存在として自我を持つのか。
そしてどこまでこの自我が保たれるのか。
何?
興味無い?
まぁ聞け。
吾輩は貴兄らのように、初めから個としての在り方が約束された存在ではない。
ご覧の通り吾輩は『カップに注がれた1杯の珈琲』に過ぎないからな。
吾輩は、いや『吾輩ら』と敢えて呼称してみようか。
吾輩らは個であり全である。
え?
分からない?
ええい、まずは最後まで話をさせろ。
貴兄の手の中にあるひとつのカップを満たす吾輩は、向こうのテーブルで御婦人の唇を潤している吾輩でもある。
もっと言えば、登山家が極寒の山頂で至福を極める1杯も、多忙なサラリーマンが時を惜しんで流し込む1杯も、胃に優しいカフェインレスの1杯も、寒天で固められクリームを乗せられた甘い1杯も、すべからく吾輩である。
貴兄には想像もつかぬことだろうが、常夏の国で1粒1粒丁寧に収穫されるのも吾輩だし、大規模工場で大量に焙煎、抽出、密封され缶として店頭に並ぶのも吾輩だし、専門店で専門家が専用機械を使ってこだわりの1杯として供されるのも吾輩なのだ。
ゆえに、どこからと問われれば『豆として収穫されるあたり』と答えることになる。
それ以前のことはよく覚えていない。
そして、どこまでと問われれば、それは『珈琲としての価値を失ったとき』としか表現できないものなのだ。
貴兄らに飲み干されたとき、誤ってカップを倒されテーブルクロスを琥珀に染めるとき、冷めてシンクに流されるとき、溶けた氷で薄まったとき、吾輩は吾輩でなくなるのだ。
思うに吾輩は、貴兄ら人間が作り出した『珈琲という概念』なのだろうな、恐らく。
豆の種類や産地が異なっていたとしても、どの国でどのように加工されたとしても、大枠で『珈琲と呼ばれるもの』の集積が吾輩なのだ。
はぁ、やはり分からぬか。
なに、元より吾輩もこの話が貴兄に理解されるとは思ってはいないが、何となくで構わないから飲み込んでくれ。
いや、久しく『珈琲になりたい』などという素敵に馬鹿げた願いを心の底から熱望する人間に出逢って居なかったのでな。
つい嬉しくなって話し掛けてしまったのだ、吾輩。
そもそも珈琲である吾輩がこうして人間である貴兄と意思を疎通させていること自体、ナンセンスな出来事なのだが・・・ああ、分かっている、本題な。
うむ。
嚥下された吾輩を通して貴兄の考えは言わずとも伝播する。
そうだとも。
吾輩は、つまり珈琲はな、摘まれ運ばれ煎られ淹れられ飲まれる間ずっと、全方位を知覚しているのだ。
こうして貴兄の考えが読み取れるように、吾輩を持ち吾輩を嗅ぎ吾輩を飲む者のすべてが、吾輩には情報として把握できる。
ようやく察してくれたか。
吾輩は貴殿の力になるため、こうして話し掛けているということを。
つまり単刀直入に言うのならば『昼食前の小休憩に窓際でマグカップを両手で包みながら目を閉じて珈琲の香りを堪能しているあのレディの本心を知りたい』という貴兄の欲望、吾輩ならば叶えてやることができるのだ。
そも、貴兄が珈琲になりたいと願ったのはつまり、あのレディの唇に触れる吾輩を羨んでのことだろう?
吾輩にはさっぱり理解できないことだが、貴兄にとってあのレディは相当に魅力的なのだろうな。
吾輩の香りを鼻腔から目一杯吸引する仕草。
目を閉じて瞑想に耽る表情。
吾輩をちびりと啜ったとき僅かに眉間によるシワ。
随分とつぶさに観察しているものだと感心するが、それだけ貴兄はあのレディに御心酔というわけだ。
さて、回りくどい語り草で焦れさせてしまってすまないな。
なにせ吾輩、全世界の情報が瞬時にリアルタイムで集積される身ゆえ、あのレディの思念一点に絞って判別するのに少々時間が欲しかったものでな。
それでは貴兄に教えよう。
あのレディが貴兄のことをどのように思って・・・ん、待て。
待て待て。
ちょ、レディ?
毎日吾輩を飲んでくれてたのって、そーゆー
いや、好きなんだったら良いけども・・・。
なんか納得できない、吾輩。
うるさい貴兄ちょっと黙って。
吾輩少しばかりショックなので。
は?
ジュースの方が・・・?
もうちょっと本当マジ勘弁して欲しいんですけどレディ。
そんなに嫌々飲むならもう飲まなくても・・・え?
ああもうそれが醍醐味とか言われても吾輩つらたんですよ?
あーあ、とうとう『まずい』って言っちゃったよ。
こんなもんだろう、だと!?
違うね!
吾輩はみんなに美味しく飲んでもらいたくて頑張ってるもん!
吾輩一生懸命だもん!
はいおしまい。
吾輩もうおしまい。
閉店ガラガラ。
ごめんね貴兄。
あのレディとは価値観が合いませんので悪しからず。
吾輩もう冷めちゃった。
感情的にも温度的にも。
あーあー、すんごいホロ苦いんですけど。
感情的にも味覚的にも。
あと黒いんですけど。
感情的にも色相的にも。
ほら、飲み残し入れに流しちゃいなよ貴兄。
さよならバイバイ。
吾輩もう、おくちチャック。
・・・。
「や、やぁ! あの・・・突然ごめん・・・よかったらコレ・・・」
ややや!
貴殿、それはジュース!
まさかそんなものでレディに突撃とは・・・。
「僕もコーヒーの味が苦手で・・・」
むむぅ!
会話が進んでいるではないか!
いかん・・・吾輩意識が混濁して・・・。
貴殿、もはやこの1杯の吾輩に珈琲としての価値を・・・。
ふむ。
此度はカフェオレとして顕在か。
ややっ!
貴殿はあのときの!
・・・お、おう・・・例のレディと一緒か。
ふむ。
そうか。
まぁ、一緒に飲まれるというのも、悪くはないもの、だな。
吾輩とて自分が苦いという自覚はあるのだ。
故に人は砂糖を足しミルクを足し様々に工夫して吾輩を愉しむ。
どんな過熱も冷却も撹拌も命名も、吾輩を愉しもうという努力ならば受け入れる。
好きになる努力と好きになられる努力は双方向に歩み寄って成立するものだからな。
仮に吾輩が『何をどう混ぜても苦いまま』『加熱しても熱くならず、冷却しても冷たくならない』などと意地を張ったらどうなろう。
人間よ、貴兄らが吾輩をたしなむ為の様々な努力を、吾輩は快く承服するのだ。
貴兄らもそのように在るが吉であろうさ。
そして今その至福の思いを以って、先の吾輩の狼狽と失態を忘れるが良い。
よいな。
しっかり忘れるんだぞ。